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モモちゃんとのお別れ


「えん」のおばあちゃん猫、モモちゃんが
昨日、天国へ旅立ちました。
DSC_0384.jpg

「モモちゃん」と私は、出会う前から夢で逢っていた、という
ちょっと不思議な関係でした。
13年前、透析をしながら太志を妊娠した私は、福岡県の
病院に長期入院中でした。
ある晩、夢を見ました。上五島の自宅で、猫と暮らしているのです。
その猫のことを、私は「モモちゃん」と呼んでいました。
なぜ「モモちゃん」だったのかは、すぐに分かりました。
当時夢中になって読んでいた本が、ミヒャエル・エンデ作の「モモ」
だったからです。
夢から覚めて、上五島の主人に電話し、夢の内容を話すと、
「今まさに、ここに猫が来ていて、うちに迎え入れたいと思ってる」と
主人。二人でびっくりし、我が家の一員になってもらうことを即決。
もちろん名前は「モモ」になりました。
DSC_0029 (1)

太志が3歳になるまで暮らしていた古い家では、
たくさんのネズミに悩まされていましたが、
若いころのモモちゃんはネズミを捕まえるのが上手で、
大活躍してくれました。

一度出産も経験したモモちゃんの息子の名前は「ベッポ」
(写真中央)名前の由来は・・ミヒャエル・エンデの「モモ」を
読んだことのある方は、すぐに分かりますね!
065.jpg

13歳になり、今年の夏ごろから少しづつ足腰が
弱ってきていて、心配していました。

亡くなる4か月前には、今まで一度も無かったことですが、
若い猫ちゃんを連れてきて、一緒にご飯をおねだりしたり、
その子と一緒にお昼寝したり。
今思えば、自分の最後が分かっていて、うちへ来なさい、と
連れてきてくれたのかな・・。

最後は、お風呂沸かしのかまどの中の、
温かい灰の上で、眠るように亡くなっていました。
モモちゃんのお気に入りの場所でした。

キャンプの子どもたちや、お客さまや、息子や留学生や・・
みんなに可愛がられたモモちゃん。
DSC_0544.jpg
DSC_0103.jpg

モモちゃんは、私の大好きな金柑の木の下で
眠っています。
命はいろんなカタチで巡っている。そう思っています。
土に還って、いつかまた、新たな命の芽吹きがあることを、
祈っています。

これまで長い間、モモちゃんを可愛がってくださった皆様、
ありがとうございました。
今日一日でも、一瞬でも、モモちゃんのことを
想ってくだされば嬉しいです。
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Secre

プロフィール

くらしの学校「えん」 太志の母

Author:くらしの学校「えん」 太志の母
※令和6年度 山村留学生募集中!! 詳しくは、くらしの学校「えん」のホームページ「カテゴリー」欄の山村留学募集のページをご覧ください。

🌺生まれも育ちも五島列島(旧有川町)です。
🌺上五島高校時代は陸上部長距離のキャプテンをしていました。
高校卒業後、奈良でバスガイドを3年ほど勤めている時に腎臓病を患い、
故郷に帰ってきました。
🌺帰郷後は食や農的な暮らしに興味を持つようになり、
今の主人(ゴリリン)と24歳の時に結婚。25歳で人工透析導入、
26歳で長男・太志(たいし)を出産。
🌺2015年、この島の医療関係者をはじめ、多くの方々の
ご理解とご協力のお陰で、在宅血液透析を導入し、自給的な暮らしを
営んでいます。
🌺まだまだ知られていない在宅血液透析のことを知っていただきたいし、
同じ悩みを持つ人達に情報発信したいと、この度ブログを始めました。
そして私たちの自給的な暮らしぶりも伝えられたら…と思っています。
🌺ちなみに主人は7歳年上の横浜市出身、平成10年に上五島に移住して
お塩を作っています。無人の廃村のあばら家をタダ同然で借り、道を作り、
水を引き、開墾し…。2001年から子ども対象の「しまキャンプ」を
当地で主催して、17年現在まで45回、約800人の子ども達が島外から
この「大浦」に来てくれています。
海水からの塩づくりを中心に、しま留学生と暮らし、
石窯ピザ、ハーブ園、猪肉の燻製品、
その他加工品などなどをしています。

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